スターゲイザー
虹顔市の中心部から少し離れたこの山では、登ってきたときと同様にとても静かな時間が流れている。脛の辺りまである草を風が撫でていく音と足音以外は何も聞こえず、まるで世界に二人きりであるかのようだ。緩やかな斜面を深く踏みしめるたびにみずみずしくも獰猛な夏の匂いがして、明日も暑くなりそうだと思った。
こうして黙って歩いていると、まるで夢の中にいるみたいに感じる。先程まで見上げていた美しい流星群も、そのために彼が僕を選んで一緒に過ごしていることも、全部都合のいい夢みたいだ。
そんな空想めいたことを考えていたら、風が肌をくすぐってくしゃみをしてしまった。
「……っ、」
思わず立ち止まってやり過ごす。静かだから結構大きく響いて恥ずかしい。先を行っていた神威くんも振り返って、じとっとした視線を感じる。気まずい。うつむいて手のひらで腕を擦る。伝わる表面の温度は幾分冷えているのを感じる。夏とはいえ、このような場所では日中との気温差が激しいものだ。まるっきり軽装でやって来たのだから仕方ない。
がさがさとした音が前から近づいてくるので顔を上げたら、神威くんが僕のところまで戻ってきていた。
そのまま一歩先の彼に腕を引かれて少し前のめりになり、手を握られる。
「え」
咄嗟に動けない僕を気に留める様子もなく神威くんは目を細めて呟いた。
「確かに冷えているな」
自分より大きくしなやかな神威くんの手に包まれていることを遅れて意識した僕は、下がっていた体温がたちまち上がるような心地になる。
繋がったところから彼の体温が伝わってくる。混ざり合って境目は曖昧になる。無意識なのだろうが、長い人差し指が僕の手の甲をつつ、と軽くなぞって、その秘密めいた仕草に顔がかっと熱くなる。夜よりも暗い黒を宿した爪先と色の白い肌のコントラストが綺麗で、しっとりとしたきめ細やかな感触を僕の手汗が今にも邪魔しないかと、内心慌てた。
どくどくと走り出した脈が伝わってしまいそうで……でもいっそ、伝わってもいいような気持ちになりながら、何かが胸につかえて黙っていると、神威くんはぱっと手を離した。
「まあ、大丈夫だろう。馬鹿は風邪を引かないと言うからな」
唐突に終わったその時間は、彼のムードもへったくれもない言葉によって区切られた。遅れて内容を理解して、苦笑の溜息が漏れる。
「ひどい……」
返事と裏腹に僕は笑い出していた。確かに彼に誘われたらいきなりちょっとした山を登ってしまうほど僕は馬鹿で、かなり愚かだ。少し無理のあることだって、できることならすべてを与えたい。それは神威くんの言うところの、彼の美の信奉者だから——とかだけではないのは、自分でもわかっていた。
つまるところ下心なのだけど。
風がまた、さあっと音を立てて僕たちの間に吹いていく。少しずつ彼の温度を失っていく手のひらに名残惜しさを感じてぎゅっと握った。
「しかし……そうだな」
神威くんが見上げたので視線を追う。流れることはない星々が、変わらずそこに散りばめたように瞬いている。彼は何億光年も先にある輝きさえ見通すような目つきでどこか誇らしげに言った。
「エージェントがお前のような大馬鹿者だから、俺は仮面ライダーをやるのが面白い」
わずかに見開くと、彼は得意そうに形のいい鼻を鳴らした。
あ、今、最後の流星が僕たちの間を通っていった、と思った。きっと燃え続けて落ちることのない星が、長い轍を残して去っていった。この空のどの星より美しい流星だった。
僕は君の引力に魔法をかけられているから、今日のことはいつまでも忘れることはないのだろう。
手のひらはもう冷たくなかった。