Like Soda Pop

「この忌々しい暑さはなんとかならないのか」

 日傘を差した神威くんが心底憂鬱そうに呟いた。彼と違って真上から容赦なくぎらぎらと肌を刺してくる光に直接襲われている僕は、返事をする気力もなく頷いた。
 今日の虹顔市の最高気温予報は三十五度、朝の天気予報では熱中症予防のためになるべく外での活動は控えるよう呼びかけられていた(ニジローも頭の上の虹を赤く点滅させて注意していた)けれど、カオストーンの情報がライダーフォンに届けば僕には関係ないことだった。工業地区での目撃情報を受けて、手が空いているのが神威くんだけだったので、こうして二人で残酷なくらい晴れた空の下駆けつけたその帰り、あまりにも暑いので、調査の労いも込めて仮面カフェで一息つかないかと提案したところだった。

「レオンに頼んで迎えの車を呼んだから、もう少し待ってね」
「ああ……」

 まるでゴーストタウンになってしまったかのように通りに人の姿はなく、アスファルトはますます黒みを帯びて僕たちを焦がす。レオンとの待ち合わせ場所まで、全身にだらだら汗をかきながら歩を進めている。

「……あれは……」

 神威くんが何かに目を留めて立ち止まったのでそちらを見る。右手で汗を拭って目を細めると、向こうのシャッターが閉まった建物の前に人がいた。
 日陰になっているところにいるその人は、何かを手にして大きく腕を動かしている。すると、手の先から灰色のシャッターに色がついていく。よく見ると、スプレーで壁に線を引いていた。
 無造作な線はみるみるうちにカラフルなグラフィティになっていって、僕はつかの間巧みなライブペイントに見入ってしまった。

「すごいね」

 工業地区に来ると、あらゆる場所が様々なグラフィティでボムされているのを目にする。そのどれもがおそらくイリーガルなものだろうけど、落書きというにはクオリティが高くて、ちょっと感激してしまう。
 財閥のお屋敷で過ごして、クリーンで上質なものばかりを与えられていた僕は、海外の映画に登場するような工業地区のアウトローな街並みや、そこで生きる人たちにちょっと憧れを抱いている。

「ふん」

 しかし神威くんは、興奮を隠せない僕ごと鼻であしらって先を行ってしまった。追いついて隣を歩く。
 相変わらず炎天下だ。

「……お前もああいう芸術を好むのか?」

 しばらく無言で歩いていると、突然そう聞かれた。神威くんを窺うと、僕の方は見ておらず、暑さにしかめっ面をしていた。少し考えた後口を開く。

「ああいうふうに目の前で作品が出来上がっていくのってわくわくするし、すごいと思うよ。ストリートカルチャーっていうのかな? 反骨精神みたいなのも、かっこいいよね」
「ハッ、賛辞を送る相手を間違えているとしか思えん。……ああ、俺が手がける崇高な芸術は、お前にはまだ早かったということか」
「神威くんと比べたりなんてしないよ。どっちも唯一無二」
「いいや、俺の方が素晴らしいに決まっているだろう」

 まあ、神威くんならそうだよね……。
 言葉をしまって、前を向いた。少し先に陽炎がゆらゆらと立ち上っている。

「……ただお前が好むのかどうか気になっただけだ」

 独り言のような神威くんの言葉が熱風に乗って僕の胸に辿り着く。

(……それってどういう意味?)

 期待して、いいのだろうか。
 足元に視線を落とすと、神威くんの日傘が落とす影と僕の影が地面でくっついたり離れたりする。それだけで僕は、人が燃えてしまいそうなこの暑さの中でもっともっと顔が熱くなってしまうことを、彼は知らない。
 エージェントが特定の仮面ライダーに執心するなんてあってはならないことだと思う。
 けど、ほんの少しだけ、僕は神威くん贔屓なのだ。
 レオンの運転する車がやってきた。冷房が効いた車内で汗が引いてくのを感じてほっと息を吐く。
 日傘を畳んで反対側の座席に乗り込んだ神威くんはゆったりと脚を組んで、頬杖をつきながら窓の外を眺めている(ガラスに映った自分を見ているのかもしれないけど)。
 その整った横顔を隣から盗み見る。レオンに調査について質問されるまで密かにそうしていた。


「お待たせいたしました!」

 仮面カフェの夏季限定新商品が二人分、カウンターに並ぶ。円筒形の背の高いグラスにはたっぷりの氷と程よい濃さのフルーツフレーバーのティーソーダ。僕は、南国の香りがするそれを味わう余裕もなくグラスに口をつけて、ごくごくと半分近く飲み干してしまった。

「生き返る……」

 冷たい微炭酸が喉を通っていく感覚に思わず笑みが溢れる。

「この俺と極上のティータイムを共にできているというのに、お前はムードとかないのか」

 黒いストローでくるくるとティーソーダをかき混ぜる隣の席の神威くんから、仮面越しに非難の視線が飛んでくる。ストローに口をつけた神威くんが見張って、続いて喉を鳴らすのを見て嬉しくなる。神威くんのお眼鏡にかなってよかった。レオンが開発に気合いを入れていたからなぁ。
 この暑さからカフェに涼みに来る人が多いのか、はたまた正午を過ぎた時間帯によるものか、店内はそこそこの混雑具合で、お客さんに呼ばれてレオンも駆り出されていった。ささやかな喧騒の中、神威くんとまた二人きりになる。

「来て早々だが、作品のインスピレーションが浮かんだのでゆっくりはできないぞ」

 カウンターチェアに背中を預けた神威くんが腕を組んで言った。

「次の自画像は趣向を変えて新たな画材を取り入れたい。そうだな……今日見たあいつのように、スプレーを使ってみたい」
「へえ……」

 ここではないところを見つめるように、自分のことを考えて没頭している表情をしている。絶対に揺るがない神威くんが誰かから少しでも影響を受けることが珍しく思えて、僕は意外な気持ちを隠せなかった。
 ただ思い出したことは、店に来るまでのやり取りだった。

『……お前もああいう芸術を好むのか?』

 彼に限ってそんなことはないと思うけど、僕の嗜好を気にしているとも解釈できる言葉に、ほんの少し動揺と期待をしたんだった。

「もしかして、僕があの人いいなぁって言ったこと、気にしてるの?」

 なんて、軽口を叩いてグラスを傾けた。僕の冗談はすぐ、周囲から聞こえる話し声に紛れていった。
 少し間が空く。

「そうだと言ったら、どうする?」

 え。
 顔を上げて隣を見ると、思っていたよりずっと真剣な表情をしている神威くんと目が合った。
 鈍いマゼンタの瞳が二つ、まっすぐに僕を射抜いて離さない。
 仮面越しには彼の本心がわからないけれど、その瞬間だけ、喧騒も暑さも何もかも忘れて捉えられていた。
 氷が溶けてからんと音を立てた。炭酸のように、胸の中で思いが次々に浮かんでは弾けていく。
 僕は次の言葉を探した。