ズッ友

「——それでは、二人の幸せを願って、乾杯!」

 老若男女が口々に乾杯、とグラスを合わせて、一気に華やかな雰囲気に包まれるこの会場でただ一人、私が一番帰りたい自信がある。

 高校の同級生、星野の結婚式だった。星野は、彼以外の部員を知らない天文学部に所属していて、他の男子が腕相撲とかしているときにいつも静かに机に突っ伏して寝ていて、私と同じく、東京の大学に進学する数少ない一人だった。目立たないのにとても秀才で、しかしどこか他人と一線を引いているような雰囲気があり、同じく目立たない側だった私にとって、ひそかに憧れて一目置いていた存在だった。
 そんな彼が同じ高校の先輩と結婚すると聞いたときは、記憶の中の彼の孤高のイメージとのギャップに戸惑った。どこか現実味なく感じていたのだが、招待状も届けば受け入れざるを得なくなる。そして、あのころの私の恋が終わったことも認めなければならなかった。
 当時から同世代のノリが苦手で特にいい思い出もなく、元同級生が集まるであろう結婚式には行きたくなかった。けれど、あの星野が今どんな面をして生きているのか見てから私の気持ちと決着をつけるべきだとも思った。
 意を決してやってきた披露宴の会場はどこを見ても地元の奴らばかりで、結婚相手はソフトボール部のエースだった美人な先輩で、友人代表のスピーチを務めたのも同じクラスで委員長を務めた中岡だった。星野は大勢の友達に囲まれてよく笑っていた。
 失恋したんだと、投げやりに思った。憧れだった星野はもういないのだ。あのころの、横顔を見るだけのときめきで息をしていた自分ももういない。
 ヘアセット代四〇〇〇円もフランス料理もとにかくどうでもいいから帰りたかった。当時、早く地元を出たかったから、特別仲が良かった人もいないのに、私の顔を見ると古くからの友人のように声をかけてくる元同級生たちはダルくて、辟易する。話しかけられないように、さっきからうつむいて味のしないシャンパンで口を湿らせることばかり繰り返している。

 あーあ、ばかだったな、私。何やってるんだろ。

 そっと溜息をついたそのとき、控えめに肩を叩かれて、私は外向きの表情を取りつくろうことも諦めていい加減に振り向いた。

「——御手杵?」
「おぉ、やっぱりあんたか。来てたんだ。久しぶり」

 同じクラスにいた、御手杵だった。明るい茶色の、くりくりして人が好さそうなあの目だ。

「久しぶり。……御手杵も、来てたんだ」
「まぁな。でも、あんたが来るのは結構意外かもな」

 御手杵も、どちらかというときらきらしている側ではなかったので、なんとなく勝手に仲間意識のようなものを抱いていた男子だ。ああ、今思い出したけど、席が前後になったこともあったっけ。なんで今まで目が留まらなかったのかと思うくらい身長が高くて、思わずまじまじと見つめてしまった。参列者らしく黒のスーツに白のネクタイを締めているのが少し記憶の中のイメージと違う。昔はもっと、ダルそうな感じというか、ゆるいというか……。

「……なんだよ、そんなにじろじろ見るなよ」
「ご、ごめん。なんか、ちゃんとした格好してるの見るの初めてで、びっくりした」
「はは、正直だなぁ」

 御手杵の大きな口がふにゃ、と緩んで、思っていたことをそのまま口に出していたことを自覚して慌てる。やる気がないとはいえ、あまりにも何も考えていなさすぎて失礼だったかもしれない。ただ、御手杵の笑顔が変わっていないことに安心するような気持ちもある。
 先ほどまではとてもそんな気分ではなかったが、自分が他の参列者と同じように見えているであろうことと久々の再会に気をよくした私は、もうしばらく喋ることを決めた。

「私が来るのが結構意外って、たしかに東京でそのまま就職したし、全然同窓会にも行かなかったけどさー。御手杵も正直だね」
「あぁ、まぁ……な、」

 そんな冗談を返してみると、御手杵がどこか歯切れの悪い返事をする。

「え、何」
「いや、うーんと」

 見上げてみると、ますます視線をさまよわせる。非常にわかりやすくて、ああ、なんかこんなやりとり昔もしたかもな……なんて思ってしまう。
 しぶとく御手杵を見つめ続けると、こめかみをかいて顔を寄せてくる。細長い上体を折りたたむようにして私に近づくと、彼は、

「だってあんた、星野のこと好きだっただろ」

と言った。

 そのひそめられた声は喧騒の中でもいっそうクリアに聞こえて、何も言えなくなった私は、距離が近くなった御手杵の顔をさっと見上げた。
 困ったような顔で御手杵も私を見ている。
 参列者の会話が起こすざわめきの中で一瞬、見つめあった。

「な、なんで」

 思っていたよりずっと戸惑って、すごく細い声が出た。
 誰にも言わず、私ですら気づかずに秘めていた恋を、どうして御手杵が。
 御手杵は眉を下げて息を吐いた後、呆れるような優しい表情を浮かべた。

「だって、ずっと見てたからさ」

 その返事を聞いて、私は高校での、とある瞬間を強烈に思い出した。

 あれは夏の終わり、最後の進路希望調査がおこなわれたころ。
 大学は違えど私と同じく東京に進学するという星野に、そのことをきっかけに話しかけてみたかった。ただ、それまでまともに会話したことのある関係でもなく、一方的に知っている相手に声をかけるタイミングがつかめず悶々としていた。
 そのとき、後ろの席だった御手杵に、休み時間に肩を叩かれたのだ。

「星野、弁当食うときは一人だから、そのとき話せばいいんじゃないか?」

 あのときも私は戸惑っていた。「えっ」とか「なんで」とか言うのが精一杯で、感情に溺れそうになったとき、

「だって、ずっと見てたからさ」

 御手杵はそう言ったのだ。
 本を読む星野の横顔を眺めていたとき。退屈な日本史の授業でこっそり自習していたとき。ルーズリーフを一袋使い切ったとき。うちという一人称を辞めたとき。
 ずっと、御手杵は、私のことを、見ててくれた?

 わっ、と歓声が上がって、現実に引き戻される。新郎新婦の席で何か盛り上がっているようだ。
 私はぼうっとして、ただ目の前の御手杵が何かすごく慌てた表情をしていることが不思議で、口を開いたら、ひ、と声にならない声が漏れて、自分が涙を流していることに気づいた。

「ちょちょ、ちょっと、おい、あんた、大丈夫か?」
「っ……、っ、っ……」

 片手にグラスを持っているからハンカチがすぐ取り出せなくてもたついていると、御手杵が手からグラスをそっと取り上げた。
 静かにしゃくりあげる私と、両手にシャンパングラスを持って狼狽える御手杵は、他の参列者からどんなふうに見えているんだろう。想像したら、ばからしくて、泣きながら笑った。

「あーもう、ほら、料理食おうぜ、オードブル来たぞ」
「っ……、ふ、うん、大丈夫だから、ふふっ、御手杵っ」

 励まそうとする御手杵の姿が、大きいのになんだかかわいかった。
 そして私たち二人は端の席でフランス料理をむしゃむしゃ食べた。つまらない祝辞もつまらない余興も、御手杵が隣にいてくれたから平気だった。私のつまらなさも、全部御手杵が見ててくれたから、大丈夫になったのだ。